思い出になっていく
お題「#この1年の変化」
この1年というか、さらにもう1年前からの話にはなるが2年間短大で日本画を学んでいた。
それと同時に長年住んでいた北海道を離れ関西に住居を移し暮らしてきたわけだが、環境を変えるということは振り返る材料を減らすということにも繋がると思っている。
壁のポスター 棚に入りきらず積み上げられたCD 上手くないなりに描いていただいてファンアート 生写真
それらをほとんど置いて出てきたのもあって思い返す頻度は減ったし、去年なんて「そう言えば誕生日か」とそう言えばで片付いてしまう記憶になっていた。
5年前のあの日、あんなに苦しくて胸をいっぱいにしていた気持ちは5年も経てばそういえばで済まされる様な感情だったのかと考えてしまえば少し悲しくなる。
あの頃なら絶対に考えなかったけれど高校辞める前からやり直したさすらある。
話は戻るが、そんな高校生活と比べれば大学生活は穏やかにそれなりに楽しく過ごせていたと思う。
北海道を出ればたくさん現場に赴くことができると思っていたが思っていたほどではなく、コロナ禍のせいで一昨年愛用していた夜行バスの路線は休止したままという有様である。
推しはアイドルを辞めるし、舞台は延期や中止。深夜給と送迎を頼りに働いていたバイトは今では2時間しか働けない始末だ。
その分配信や通販に力を入れてはいるが遠隔で応援するなら北海道でも良い話であって、進学という建前はあったもののなんのために家を出てきたのかわからないでは無いか。
環境が変わり、新しい人と出会い別れて、悩み事が減ってはまた新しく増えるし、これまで気にしてなかったものを好きになって趣味の視野がぐっと広くなったり。
周りが変わっていく中、私だけずっとあの時のままいる訳にもいかないから
こうして少しずつ記憶の層の下の方に貴女は沈んでいってしまうのかもしれないけれど
あの時の選択があるから今の私がこうしているから。
22歳になる春。貴女がアイドルを辞めたのと同じ年齢になった私は前が見えないまま社会に足を踏み出していく。
アイドルに救われてアイドルに殺された話
私はアイドルヲタクです。
地上から見れば地下、地下から見れば地上という微妙な位置のアイドルのヲタクです。
私が必死に勉強して合格した高校は校則が厳しく課題が多い学校でした。公立で美術専攻の授業がある高校がそこしか無かったので仕方が無いのです。授業は楽しく友達も出来ました。ただ、課題の量が多いのと私の要領が悪いのと友達との金銭感覚の違いもあって上手くは行っていませんでした。
私はその時とあるアイドルが好きでした。
彼女の歌に、笑顔に、可愛さに元気を貰ってギリギリを保っていました。
地元に来てくれた時は追試が終わらなくて間に合うか分からず泣きそうになったし、夜課題が終わらない時は彼女が好きだったエナジードリンクを飲んで彼女の歌を聴いて徹夜で片付けていました。
ですが次第に課題が終わらなくなり、授業についていけなくなり、学校に行くことが辛くなってきた
学校においでと言われるのが辛くて、周りの子の要領の良さがうらやましくて
それでも彼女が画面の向こうで歌っているのを見ているときは私も笑顔でいることができました。
でも、突然消えてしまった
彼女は何も言わずに卒業してしまった
歌うことをやめてしまった
アイドルでは無くなってしまった
本当に突然の出来事で頭の整理がつかなかった
彼女のいたグループがまた地元に来てくれるのが決まっていた
でももう彼女には会えないのだ
予兆はあったが、考えないようにしていた
私は、友達とも何処と無く疎遠になり、学校の最寄り駅をわざと何度も乗り過ごしたり、駅に降りることが出来てもそこで吐いてしまったり、もはや乗り換えの駅ですら具合が悪くなったり。
次第に学校に行かなくなった
行けなくなったの方が近い。
保健室の先生も私の事が面倒になっていたと思う。なんとなく分かった。
スクールカウンセラーとも話したけどあまり解決しなかった。
最後の方は時間が空いている専攻教師の人と話している時間の方が長かった気がする。
母は私を心配して心療内科に連れていったがアイドルが辞めたから学校に行けないは普通直接は結びつかないため出された漢方も効かなかった。
母は「死んだわけじゃないんだから」と言う
死んではいない。でもアイドルの彼女は死んだのだ
帰ってこないのだ。
そうして外に出ないまま秋も冬も過ごした。
結局中退扱いになった。自分が惨めだった。
遠くの友達に一緒に大学に行くことは出来ないかもしれないと言うと怒られた。謝ることしか出来なかった。
そこまで言うならあたしが死ぬ時一緒に死んでくれと思った。
彼女はもういない
高校生になって二度目の冬が訪れている今も私はアイドルヲタクをやっている。
アイドルを精神的支柱にしてギリギリで生きている。
元同級生達は受験の話をしている中、取り残された私はやっぱり惨めで仕方がない。
彼女のように頑張って積み上げたものを1度全て崩してから立て直せるほど私は強くない
話を聞いてほしいだけなのに丸め込まれるから母にはもうしばらくは話したくない。
立ち直れないままこの先どうしたらいいのか分からないままこうして高校一年生が終わろうとしている。
私はアイドルが好きです。
嫌いなら
嫌いなら言えよ
わかんねぇよ
嫌いって言われたら言われたで泣くけど
嫌いなら嫌いって言ってくれよ
もうやだ
誕生日1人しか祝ってくれなかったし
切ったの自分だった事も反省してるけど
もしくは遺族
去年の8月10日
突然彼女は卒業していった。
母親は悔しいと語り
残った4人は穴を感じさせないようにと気丈に振る舞った。
秋山ゆりかには華があった
それでいて高い歌唱力とダンス
人と群れない性格と、存在感を放つには十分な素質があった。
実際、真ん中にいることが多かったし抜けた穴は大きい
私の様に今の「チャオ ベッラ チンクエッティ」に「THE ポッシボーの秋山ゆりか」の姿を探してしまう人がどこかにいるかも知れない。
いなくなったという事はわかっているけど
わからない部分が多すぎて頭が整理しきれないのだ。
卒業当日の母親のツイート
メンバーから出てくる彼女の近況報告との齟齬
何故あんなに急いでやめる必要があったのか
辞めた理由は他にもあるのではないだろうか
そう思えてならなくて悲しくなる
多分メンバーも言われてないことがあるだろうし
後ろの 大人にしかわからない事情もあるんだと思う
だから私はメンバーを責める事はしないし今のチャオベラも好きだ
ただ、わからないことが多すぎて1人のファンには何もすることが出来なくて
ヲタクとしてもしくは遺族として哀しむことしか出来ないのである。
また会える日を願って。