もしくは遺族

面倒臭い人が面倒臭いこと言うだけのコンテンツ

大人びた事を言っても所詮は只の子供

世の中知識だけではどうにもならないのである。
もちろん知識は大切だが、それを実行することが出来ないと宝の持ち腐れであり意味が無いのである。

好きと言い合った恋人達はその後何をするのだろうか
聞いたことも見たこともあるけど実際には知らない
誰かが教えてくれるわけでもない事項を自らを犠牲にして確認していくしかないのである

幸せを感じるためには自らの手を汚すことだっていつかは必要になるのだ
そうしないと幸せは続かないのかも知れないのだ。

不安に押しつぶされる前に自分と相手の関係を確認しないとどちらかが壊れてしまいそうで、こんな事しなくてもわかっているのにと思いながらも手が出てしまうのだろうか

言わなくてもわかってるなんてことはないという話をどこかで聞いたことがある
たとえば電話越しなんて表情も見えないし実際声色なんてどうにでもなる
そんな環境で気持ちが完全に伝わるのかと言われれば伝わらないと思うし、自分が出来る事は相手もできるのではないだろうかと疑心暗鬼になるのだ

やはり直接触れて確かめるしかないのだろうか

知識だけが詰まって経験のない頭ではやっぱり何も思いつかない。

悪循環とかいい事ないから悪な訳で

CD買う握手する幸せになるまたCD買うチェキ撮る幸せになるまたCD買う…
そうやって数百人の精鋭で人気アイドルへと押し上げるわけですがそんな話は置いといて。

ブログ始めて毒を吐き続けるほど溜まっていたわけではないということに気づきました。
生理みたいなものです。細かく長く続くけど集めてみたら大したことないんです。

毎日同じように幸せを手に入れていると無かった時の辛さが尋常ではございません
あたりまえであったと思われた物は本来勝手に作り出した妄執であり、それが当たり前だと位置づけるものは何も無いのに、です。
おやすみがきけなかった、言えなかったの様な他人が干渉するケースから好きなアーティストの曲を聴き忘れたという個人的なものまで。
一度それがないと不安になるんですよね。
毎日の様に続いてたものが急に変わるのは不安になるんですね
明日もなかったらどうしようこのまま聞けなくなったらどうしようなんて。
相手が言うからなんて建前をつけていても本音は自分の事しか考えてないのかも知れません

醜い。
あたしがエゴのかたまりでしかないのならいつか傷つけてしまう気がする
あの子はとても壊れやすいから。
優しい子だから。

だから

あなたの幸せに私が存在しませんように

メンヘラが恋してもヤンデレにはならない

なんとかブログを続けよう。三日坊主だけはやめようなんて思ってはいたけどそもそも面倒な感情の捌け口として開設したわけだからそんな毎日不満があるわけでもないし毎日続けようとすることがストレスになっていつか嘘の記事とか書きそうなので気軽にやります。

どこで文章切れるかわからないし改行もそんなに多くないから読みづらいことこの上ないけどこんなブログ読んでいる人はわざわざ面倒臭いのを見に来たわけだからめんどくさがらずに読めよって思います
改行って打とうとしてるのに何度変換しても開業になるのほんとやめて欲しい

良くも悪くも誰かを贔屓するってことが出来ず、気に入った人には平等に接します
気に入った人っていう分類の内訳を説明するとしたら親友(勝手に認定)恋人推しメンエトセトラ。
推しメンと恋人に対する愛情の注ぎ方は一緒ということになる訳です
優先とかないのよ
でも離れられるとすごい不安になるし引き留めたいしかといって近づかれすぎるとどうしたらいいかわからなくなって自分からは何も出来なくなるわけで

所詮愛されたい精神の塊が恋をしたところで自分でいっぱいいっぱいなのは分かりきっているから心の調子を完全に治してからの方がいいと思うよ。

はたして私は誰でしょう

言われなれてない言葉を耳にするとどうしたらいいのかわからなくなり笑ってしまう
あたしは楽しい以外で困った時にも笑ってしまう

どうしたらいいかわからないままただ笑顔でやり過ごそうとしてしまう

なんでそう思ったんだろうって自分のなかで憶測を立てて相手を探ろうとするけど
何も考えることの出来ない空っぽの頭では何もわからなくて相手の気持ちは痛いほど伝わってくるのにあたしは言葉にできないままこうやって口から出せずに置いておきすぎて腐ってしまった言葉を吐き出している

腐った言葉はどれも苦くて重くて自分の嫌な部分が全部出ているみたいでやっぱりこんなの言えるわけないって思ってまた言葉を溜め続けるだけの音のない時間を過ごすことになって

だって見えないものはわからないし聞こえないものはどうしたらいいかわからない

あたしの気持ちも言わなかったら聞こえないし顔を合わせてなかったら見えないわけで、どうやったら距離が縮まるのか答えがわからないものに頭を悩ませる

悩ませるとはいっても頭は何も入ってないから考えるだけ考えて実際に遭遇したら忘れていてまた同じことを繰り返してしまう

建前と偽善で塗り固められた私の顔は本当にあたしなのだろうか
自分の意見というものが見えないままです

理想は叶わないことを言った方が身のためである

愛情が欲しい。
承認欲求の1つなのだろうけど愛されているイコールその人に必要とされていると考えるとやはり愛が欲しい。

でも、ただ認められたいだけだとやっぱり多くの人に認められたいしたくさんの人に愛されたいわけで「あなたがいればそれ以外いらない♡」なんて事は無理って結論に至ってしまう。

愛されたいという感情を向ける裏にはやっぱり嫌われたくないって気持ちがあるからあっちにもこっちにもいい顔はするし嫌なものにはそもそも近づかないし自分に必要だと思ったら全て引き止めて置きたくなるわけで、そこに自分だけを見て欲しいって気持ちが少なからず出てくる

ただ、自分だけを見て欲しいからって相手がそうしてくれているかなんてわからないし常に疑いながらいるからやっぱり他の人にも目が行くし常に相手だけを見ているわけではないって思うと相手に自分だけを見てなんて伝えることは出来ないし

Twitterやり過ぎてるからある程度の文字の塊が出来たら無意識に区切ってる事に今気づいたわ。

でも私が愛情をどんなに注いでも完全には受け止めてくれないのよねって常々思うの。愛情=お金みたいな所あるしそうなると限界が見えてくるし
それでも一方的に想いを延々と呟いて大したこと言えずに相手から忘れられたりしても止められないのよね。
あの人の世界に私がいなくても歌は変わらないんだもの。
私が惹かれた時のあの人はそもそも私が存在しない世界で今まで生きていたわけだからそこに出てきた私なんて所詮その他大勢の1人に過ぎないの

だから私しか見ることの出来ない何かが欲しいなんて思ったり思わなかったり

恥ずかしがり屋で本当に思っている事がなかなか口に出せない私を誰か察してください(無理)